母親失格の境界線

「こんな私、母親失格だわ~」

 

 

育児を経験したことのある方なら

一度は感じた思いなのではないでしょうか。

でも

実際に

どこからが「母親失格」なのかを

具体的に考えたことはありますか?

 

 

 

 

 

あやふやで曖昧なこの言葉は

個人の主観を多く含み
定義することはできません。
そもそも
「母親失格」という概念は
欧米化し、成果主義に溺れた日本社会が

都合のいいようにつくりだしたイメージでしかありません。

 

 

メディアを駆使され

流れてくる映像や情報を

「正しいもの」と判断しがちな私たちの脳は

その圧倒的な数という周波数で共鳴し

あっというまに感染したかのようになり

本質を追及することを疎かにしています。

 

 

 

良い母でありたいと思うあまり

意識が外側に向いて

自分と誰かを比較してしまうのは

愛情の深さゆえの行動といえるので

悪い事ではないのですが

行き過ぎると

貴女にとっての“普通にできること”と

誰かにとっての“普通にできること”を混同することになり

軸がぶれ始め

冒頭の言葉に支配されてしまうかもしれません。

 

 

 

 

育児が苦しいと感じたり

子供をかわいいと思えないことの根底に

愛が溢れているように

自分を母親失格と思う心の礎にも

愛が溢れています。

 

 

 

主役はあくまでもありのままの貴女です。

 

そして

子供はありのままの貴女を無条件に愛しています。

何ができるとか

何ができないとか関係ないのです。

 

貴女の愛は

子供にちゃんと伝わっていますキラキラ

 

 

 

母親失格のラインで心が乱れるなら

貴女の内側の美しさにフォーカスしてください。

「これがありのままの私」という着地点を

ジャッジせずに受け入れるチャンスなのかもしれません。

 

 

 

大切なことであるほど

大変で

人からは見えないものである、と

子供がそっと教えてくれることのひとつです。

 

 

 

 

 

今日もご訪問してくださって

ありがとうございます。

 

 

感謝と祝福と光を込めて。