不登校のメッセージ

子供が

学校に行きたくない、と言ってきたとき

真っ先に思うのは

「いじめにあっているのかもしれない」

ではないでしょうか。

そこから派生する

学校生活での様々な心配が頭をよぎり

親である私たちは

これから起こりうることを想像して

一時的に混乱することもあるかもしれません。

 

 

現実に「いじめ」にあっているケースを除いて

「なんとか頑張って通ってほしい」という

親側の願いとはかけ離れたところで

子供からのメッセージがあることに

氣づいている方は

どれくらいいるのでしょうか。

 

 

 

 

あなたと子供との関係性。

 

 

 

 

あなたとパートナーとの関係性。

 

 

 

 

あなたと親・義親との関係性。

 

 

 

 

 

たとえば。

 

 

子供が幼稚園や保育園に通っていた頃、

朝の忙しい準備の時間に

洋服が決まらなくて

あなたを困らせたことがあったでしょう。

 

 

そのときあなたは

「もう時間がないのだから早くしなさい!」と

強引に準備を済ませ家を出ることが

多かったでしょうか。

それとも

「ああ、今日はその洋服の気分じゃないのね」と

一呼吸おいて

子供の願いを聞き入れて待ってあげる、ということを

やった記憶があるでしょうか。

 

もちろん毎回は無理です。

登園時間も就業時間もバスの時間も決まっている以上

大人の私たちは日常をこなすために

そこに合わせざるを得ないでしょう。

 

でも

子供はそんなことはおかまいなし。

 

だって「私・ぼく」を見てほしいから。

 

お母さんは忙しそうに支度をしてるけど

「私・ぼく」のことも見てほしい。

 

だから洋服が決まらないと言って駄々をこねる。

 

そこであなたが一呼吸おいて

彼らの願いに「そうなんだ~」と共感することで

彼らは【母に受け入れられた】という

かけがえのない安堵感を手に入れるのです。

その時の穏やかな子供の顔を

ご覧になったことがありますか?

 

 

忙しいならなおさら。

兄弟姉妹がいるならなおさら。

「個人」にフォーカスする必要があります。

 

 

こんなことは

育児書にはごまんと書いてあるでしょう。

 

でも

関係性は毎日の積み重ねです。

 

 

幼いころからの

【母に受け入れられた】という感覚は

逆をいえば

【母に受け入れてもらえなかった】という

感覚の積み重ねです。

 

 

子供は

親からの愛情が

条件付きのものか否か

いとも簡単に見極めます。

 

あなたが幼かった頃

親の偽りをあっさりと見抜いたように。

 

 

 

子供もあなたも

誰も

何かができるから愛される、

そんな存在ではありません。

 

 

 

学校に行かなくても

母に受け入れてもらえている、という

かけがえのない安堵感があれば

自ら考え

自らの足で歩き始めることも

遠くないのではないでしょうか。

 

 

 

深い愛の眼差しで親をみつめる子供たち。

 

 

 

あなたを取り巻く環境を

見直す機会がやってきているのかもしれません。

 

 

 

 

今日もご訪問してくださってありがとうございます。

 

 

 

感謝と祝福と光を込めて。