歴史の中で、
そして
氾濫する情報の中で
都合のいいように定義づけられた
「母」という言葉に
私たちは支配され
操られているといっても過言ではないでしょう。
競争社会を生きる多くの人は
家族の中でさえ自分以外の誰かと比較され
評価される人生を送っています。
「母」という十字架は
さらに追い打ちをかけ自信を無くし、
時には生きる意味さえ見失いかねない
深刻な危うさを孕んでいるのです。
何者かにとっての都合のいい
あるべき姿をメディアで流し続け
私たちの意識に植え付けるやり方に
否応なく感化されてしまうのは
育児に限ったことではありません。
「母」であろうが
「妻」であろうが
「私」であることに変わりはないのです。
赤ちゃんにも「私」という意思はあります。
私たちは
役割をこなすために生きているわけではなく
自分自身を生きるために様々な役割を借りています。
それは
肉体が魂の乗り物であることと
似たものなのかもしれません。
あなたにとっての「母」は
誰かにとってのそれと同じではありません。
誰かの定義する「母」に
無意識のうちになろうとするから苦しいのです。
あなたが本当に望んでいる
「私」の中に
「母」という役割がほんの少し
スパイスを利かせているものなのかもしれません。
あなたがあなたであるために。
お手伝いをさせていただいています。
今日もご訪問してくださって
ありがとうございます。
感謝と祝福と光を込めて