母との境界線


姉妹のように見える母娘。


友達同士のように見える母娘。

そんなふうに言われて

まんざらでもなさそうな母。

そして

苦笑いしながらやり過ごす自分、、、。



【母が全て】だった幼いころから成長し、大人になって

はじめて

母もひとりの人間だったのだ と腑に落ちたとき

母の悲しみに氣づいたとき

途方もない暗闇から抜け出せることもあるかもしれません。


でも

母からの抑圧や依存や過干渉などのあらゆる支配は

消えることはなく

一見、「あなたのため」を装ったり

明らかに

条件付きの見返りを求めるといった

結局は母親自身の偏った感情を満たすための

同じ行動パターンになっていると思うのです。



【母が全て】だった頃から

母の喜ぶ顔を見るために

母の望む自分になるように

あたりまえのように過ごしてきた場合、

大人になってからも

ほんの少しでさえ 母を否定したりすると

罪悪感に苛まれるのではないでしょうか。


母の存在というのは多くの場合

自分の生死にかかわるため

“罪悪感”という必要のない思いは

「刷り込まれた」というよりは

生き物としての防衛本能のようなもので

母の笑顔を求め

そのパターンに加え

親からの刷り込みなども影響し

いつしか

歪んだ関係に発展してしまうのだと思うのです。



私たちは

それぞれ

成長のスピードが違います。



悲しいかな

自分に氣づきがあっても

母にそれがなければ

あなたが行動を変えない限り

関係を改善することはできない。


誰かに相談しても

一時は氣が楽になるかもしれないけれど

習慣化した行動は

エスカレートするかもしれない。



人生のあらゆる体験は

豊饒な大地となるための肥料なのです。



自立した大人同士として

リスペクトし合える関係を築けないとしても

まずは

あなたが自立して

己への尊厳を保ち、

母の影響で自分らしくいられないことがないように

母との境界線をひくことが

大切なのだと思います。


理解しあえる母娘が良い、ということでもなく

変われない自分が悪い、ということでもなく

ひとつの経験として

そこから

どうやって自分は生きていくのか、が

大切なのだと思います。



これは

「母」を他に置き換えて

とらえることもできるのではないでしょうか。





今日もご訪問してくださってありがとうございます。


感謝と祝福と光を込めて。